昨日3月11日は
東日本大震災から15年目という節目の日であり、
祖母の命日でもあったので
午前にさっと墓参り。
その後まっすぐ帰ってもよかったのだが、
14時46分を静かに過ごしたくなり、
ふと思い立って半年ぶりに
駅の向こうにある縁側カフェに。
→ こちら
(↓名残の椿が出迎えてくれた)

相変わらずの人気ぶりで
玄関の下駄箱には靴がいっぱいだったけど、
炬燵席ならあいているとのことで、
初めての座敷に。
(↓入り口はシンとしていたけど店内は大盛況)

でも初の座敷も落ち着けてよかった。

好きな店に入り、綺麗だなぁ・・・と、
穏やかな気持ちで眺めることのできる
「日常」の幸せと有難さを噛みしめるのは
やはり昨日が3.11だったからかも。
東日本大震災から15年目という節目の日であり、
祖母の命日でもあったので
午前にさっと墓参り。
その後まっすぐ帰ってもよかったのだが、
14時46分を静かに過ごしたくなり、
ふと思い立って半年ぶりに
駅の向こうにある縁側カフェに。
→ こちら
(↓名残の椿が出迎えてくれた)

相変わらずの人気ぶりで
玄関の下駄箱には靴がいっぱいだったけど、
炬燵席ならあいているとのことで、
初めての座敷に。
(↓入り口はシンとしていたけど店内は大盛況)

でも初の座敷も落ち着けてよかった。

好きな店に入り、綺麗だなぁ・・・と、
穏やかな気持ちで眺めることのできる
「日常」の幸せと有難さを噛みしめるのは
やはり昨日が3.11だったからかも。

昨日3/11のほぼ日のコラムで糸井さんは
災害や悲劇に見舞われるたびに痛感される
「人間の無力さ」について書いていらした。
それでもなんとか「日常」を取り戻そうとする気概で、
災害や悲劇に見舞われるたびに痛感される
「人間の無力さ」について書いていらした。
それでもなんとか「日常」を取り戻そうとする気概で、
被災地とサポートする人々(糸井さんも気仙沼には
並々ならぬ労力を払ってきている)は
「未来」を作ってきたのだとしみじみ思う。
(この建物は昭和14年、
つまり1939年に建ったそうだから、
87年もこの町の変遷を観て来たのだ)
並々ならぬ労力を払ってきている)は
「未来」を作ってきたのだとしみじみ思う。
(この建物は昭和14年、
つまり1939年に建ったそうだから、
87年もこの町の変遷を観て来たのだ)

お腹もすいているので
ピザトーストと珈琲をオーダー。
しばらくして運ばれたピザトーストは
玉ねぎがちゃんと処理され、
食べやすくカットもされていて
とても美味しかった。

しかしそれだけでは我が胃袋は全然足りず、
シフォンケーキとフルーツティーを追加オーダー。

ケーキは米粉で出来ていたので
しっとりしていて甘味さ抑え目。
ドライフルーツがふんだんに入ったお茶も
濃くて美味しく大満足。

そんなんで14時46分まで粘り、
その時間は一人黙祷した。
カフェでその時間を待つまで
スマホをいじっていたら
こんな投稿を見つけた。
↓
スマホをいじっていたら
こんな投稿を見つけた。
↓
長く生きるというのは
祈る時間が増えていくということなのだな。
~校正者・牟田郁子さんのXのポスト~
年々、自分の中に
言葉にならない気持ちが降りつもる。
言葉にならない気持ちが降りつもる。
特にここ数日は高校のクラスメートと
昔の卒業生の訃報が重なったので
何とも言えない切なさが堆積していた。
理不尽、悲しい、懐かしい、残念・・・。
昔の卒業生の訃報が重なったので
何とも言えない切なさが堆積していた。
理不尽、悲しい、懐かしい、残念・・・。

今の私には「祈り」とは
それら言葉にならない気持ちを
消化&昇華してくれるものだと思う。
それら言葉にならない気持ちを
消化&昇華してくれるものだと思う。
ぐつぐつ煮詰まっていた心中に、
隙間を作ってくれるような。
隙間を作ってくれるような。
だから祈りは
無力な人間に与えられた救済。
そして食欲も。
【補記】
無力な人間に与えられた救済。
そして食欲も。
【補記】
(1)3/1付でHP更新→
(↑2025年の秋にHPのURLが変わりました)
(2)認定トレーナーの開講日程 を2/26付で更新
(2)認定トレーナーの開講日程 を2/26付で更新
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(3)この内容とはまた違う観点で綴る
アメブロ「ワンセルフカードの広場」
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(4)古い個人ブログはmixiで読めます。
ご興味あったら→
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